はじめに

この極端にシンプルなサイトを見て、「正気か?」「手抜きなのか?」「HTMLわからんのか?」と思われた方もいるかもしれません。しかし、わざとです。正気を疑われるかもしれないので現代のWeb開発とあえて逆行するような選択をした理由と、このサイトの背景にある哲学について説明したいと思います。

気が散るサイトってどうなの?

現代のWebサイトは猫も杓子も似たような構成になっています。どのサイトを見ても、サイドバーには「おすすめ記事」「人気記事」「広告バナー」「SNSフォローボタン」「カテゴリー一覧」が所狭しと並び、ヘッダーには巨大なナビゲーションメニュー、フッターには企業情報から利用規約まで無数のリンクが羅列されています。

さらに、ページを開くと同時にポップアップが現れ、「メルマガ登録しませんか?」「Cookieの同意をお願いします」「通知を許可してください」と次々に要求してきます。そして、記事を読み始めると途中に関連記事のカードが挿入され、文章の流れを断ち切ってしまう。このような情報過多なレイアウトに正直うんざりしていました。

特にブログにおいて、サイドバーの「おすすめ記事」や「広告」は本当に気が散るだけの存在です。せっかく記事を読みに来てくれた読者に、途中で他のコンテンツに気を取られてほしくありません。私は読者に本文を最後まで集中して楽しんでほしいのです。文章との純粋な対話を邪魔する要素はすべて不要だと考えました。

デザインってなんぞ?

個人のWebサイトに、企業サイトのようなリッチなデザインは本当に必要でしょうか?ブログの本質を考えてみてください。結局のところ、文章が読めればそれで良いはずです。文章こそが最も大切な価値なのに、なぜデザインが主役になってしまっているのでしょうか。

私には書きたいことがたくさんあります。ブルベやトレランの体験、技術的な発見、日々の思考など、共有したいコンテンツは山ほどあります。しかし、既存のWordPressテーマやCMSを使うと、どうしてもデザインの調整に時間を取られてしまいます。フォントサイズ、カラーパレット、レイアウトの微調整...。「今日もまたデザインをいじって終わった」という日が何度もあり、肝心の記事の執筆スピードが全く上がりませんでした。

これは本末転倒です。ブログの本文の本分は文章を書くことのはず。デザインに時間を取られて記事が書けないなんて、まったく意味がありません。そこで発想を転換し、デザインを徹底的に削ぎ落とすことにしました。

多くがなかった時代

どこまで無駄を省けるかを試していく中で、ふと気づいたことがあります。25〜30年前のWebサイトデザインが、実は最も合理的で読みやすいのではないでしょうか?

1990年代後半のサイトを思い出してください。白い背景に黒い文字、青いハイパーリンク、最小限の装飾。当時は技術的制約もありましたが、その制約の中で生まれたデザインこそが、コンテンツを邪魔しない最適解だったのかもしれません。学術論文のような、内容にフォーカスした美学がそこにはありました。

現代のWebデザインは確かに美しく、技術的にも洗練されています。しかし、美しさを追求するあまり、本来の目的である「情報の伝達」が二の次になってしまっているケースが多すぎます。読みやすさよりも見た目の印象、使いやすさよりもビジュアルインパクトが優先されがちです。

作ってみた結果と発見

実際にこのミニマルなサイトを構築してみると、予想以上にしっくりきました。それが全てです。

そして何より、このサイトは現存する多くのWebサイトとは色々な意味で対極に位置しています。情報過多な現代のWebに対するカウンターカルチャーとして、異彩を放っていると思います。訪問者の多くが「こんなサイトは久しぶりに見た」と感じてくれるでしょう。

完走

これは決して他のサイトを否定するものではありません。企業サイトやECサイトには、それぞれの目的に応じた最適なデザインがあります。しかし、個人ブログにおいては「引き算の美学」があってもいいのではないでしょうか。

SNSが主流となった現代において、あえて個人サイトを持つということは、何かしら伝えたいメッセージがあるからです。それならば、そのメッセージを最も純粋な形で届けるべきです。読者と私の間に余計なものを置かず、文章と真摯に向き合える空間を作ることが、個人サイトの本来の価値だと考えています。