信じられないことに過去最低のリザルトを出してしまった2024年の富士ヒルの後、少しの休息の後に熊野古道ヒルクライムを見据えて本格トレーニングで走り込みを始めた。
しかし二ヶ月走り込んで鍛え上げたというのに、走れば走るほど峠のタイムは遅くなっていく。ついには絶望し自転車に乗らない日々が始まる。 (後になってこれは機材に問題があったことが判明したのだが)
ITJが予想外によく走れたのもあって、もういっそ自転車に終わりを告げて楽しいトレランにコンバートしても良いかもと思ってみたり、でも自転車そのものの楽しさは別になくなったわけじゃないなとも思ってみたり。
この数年は富士ヒルにとらわれていたので、一年くらいはレースから脱獄して気晴らしにロングライドして自転車を楽しむ方へ行ってみようと思うに至る。
パワーとか心拍とか峠のタイムとか、そういう堅苦しいのは一度忘れて ただ走る。ただし遠くまで。遅いのは不問。
そんな感じで2025年の目標はブルベでSRを取ることにした。立派な目標だ。
どのブルベに出るかな?と近場のブルベや古巣の開催情報を見ているときに 1000kmのブルベを見つけてしまった。
富士ヒルに囚われていたこの数年はタイムだけが唯一の挑戦でパワーこそ正義。でもレースをやらないと決めた今の状態で改めて見ると、実は自転車って速さ以外にも挑戦の間口が広がっていると気づく。
速くなってタイムを更新するのはロードバイクの王道。でも実はタイム以外にも限界に挑戦できる道があった。自転車は懐の深いスポーツなのだ。
最後に600km走ったのっていつだっけな?いつの間にか600kmが自分の限界だと思い込んでなかったかな?
まだ距離の限界には挑戦してなかった。この分野ならまだ限界を塗り替えられる気がする。
この1000kmのブルベは開催が4月末。エントリーは12月開始。エントリーが始まって即日で申し込んだ。
ブルベはエントリーフィーが安いからな。仮に大雨になってDNSしてもレースほど懐は痛まない。
エントリーは済ませた。距離の限界を越えるための準備を始めよう。
初めて自転車で1000km走るという経験をしたのは2019年の4月。300kmと400kmのブルベと伊吹山ヒルクライムのある月で丸々一か月丸々使っての事だった。
そこから徐々に距離を伸ばし始め、2019年の8月に1500km、9月に3000kmを1ヶ月で走破できるようになった。
これまで僕が半月、あるいは1ヶ月で走破してきた距離を
3日と3時間で走破する必要がある
(できなければ完走しても認定を貰えないのだ)
1000kmという距離を走破するのに必要な努力について僕には知見がある。もちろんその大変さがわかっているからこそ、それを3日に圧縮するために何が必要かをじっくり考える。
理屈の上では3日あるのだから寝る時間もある。一日330km走ることができれば完走できる。
脚が元気であれば300kmは11~13時間程度で完走できる距離である。ということは、毎日12時間は休めるのでは?これは余裕なのでは?
机上の戦略としてはそれで良い。問題はそんな大それたことをやったことがないことにある。
果てしない距離である
そもそも僕は速いライダーではない。
300kmを11時間で走れるようなライダーであれば半日はホテルでゆっくりできるわけだけど、僕の脚なら16時間は必要だろう。
ホテルで滞在できる時間は概ね8時間
8時間、聞いた感じだと結構休める気がする。最初にこれを計算したときは結構休めるなと思った。
ところが実際のところホテルでは洗濯、シャワー、食事、体と機材のメンテ、翌日と当日の支度などなど、やることが山積みである。
充電なんかは寝ててもできるけどそれ以外は起きてないとやれない。ということは寝る以外の時間は大体何かしているのだ。つまり
実際の睡眠時間 = 8時間 - ホテルでの作業時間
ということになる。時間にすると5時間程度と思われる。
これではどう考えても質の高い休息からは程遠い。
長い距離を連続で走るというのは簡単なことじゃ無いらしい。
遠くへ走るということは快適さからも遠くへ行かなければならいのである。
ほとんどの場合、僕の痛みというと股擦れである。が、過去に600kmに挑戦したときは手の痛みにも苦しんだ。
まだ体幹がしっかりできてなかったのでハンドルに体重を乗せ過ぎてしまったのだ。
最後の100kmは本当に辛かったのを覚えている。
あれから時間が経ってこの問題は解決したのだろうか?実は解決した。体幹はガッシリと進化したからだ。
でも代わりに2つくらい問題が増えた。そしてこっちの方が深刻だった。
2024年秋頃からは1時間走ると首の付け根が痛むようになっていた。1時間で痛むのだから70時間走るブルベで耐えられるわけがない。
その時に乗っていたバイクはTarmacSL7 。素晴らしい速さと軽さで当代最高傑作のロードバイクだったが1000kmを走る機材ではない。当たり前だ。レースバイクだぞ?
バイクに関しては実際3ヶ月ほど悩んだ結果、今の自分のフィジカルではTarmacの剛性をどうにかできないと結論を出した(そもそもTarmacが想定している走行距離は300kmまでだと思う)
そこで新フレームのRoubaixSL8を用意することに決めた。フレームが生える。
この機材高騰の時代に清水の舞台から飛び降りるイカれた行動である。
このRoubaixはエンデュランスロードというカテゴリのバイクで、ロードバイクとしては数少ないサスペンション入りのモデルだ。
12月に納車して何度かブルベで利用したが400kmほど走った感じ首の痛みは発生しなくなった。
お股の問題とはここ3年ほどの付き合いになる。
これまではワセリンなどつけた事もなかったのだがビブショーツをカステリに変えてからはワセリンが必須アイテムになってしまった。
しかしよくよく振り返ってみるとRapha の時はそんな事はなかったので、もしかしたらRaphaのビブショーツに戻せば大丈夫だったりするのではないか?と仮説を立てた。
Raphaのウェアはどれも高いものなので頻繁に購入するのが難しい。お試ししづらい価格帯である。しかし1000kmが待っている。走り出してから股ずれでリタイアはしたく無いのだ。
藁にもすがる思いで試しに買ってみたら、とりあえずワセリンをつけている感じは400km走ってもお股は無事っぽいことが判明(カステリだと200kmで壊れる)
またRaphaのビブショーツの肩紐であれば肩こり自体はするものの、そこまでひどく凝らない事も判明。
僕の体全般がRapha以外を受け付けないようになってしまったようだ。贅沢な話である。
600kmはこれまで2回しか挑戦したことがない。その両方とも非常に軽装で走行している。
ライドフィールの問題もあるし、山のど真ん中でもない限りほとんどの区間で電車が走っている。
だから気楽に挑戦してなんかあったらリタイアして輪行すればいいくらいの気持ちで挑戦していた。
しかし今回はそうはいかない。
複数日に渡るロングライド、ホテルからホテルへの大移動。長時間の夜間走行、走行時間が伸びることはそのまま機材トラブルの発生確率上昇に直結する。
大量の充電器、防寒着、ホテルでのウェア、輪行袋、パンク修理機材その他を持って走る必要があった。
一応重量を全く気にしなければ2L程度のフレームバッグと6Lのサドルバッグがあるので結構なんでも入れることは可能だが入れ過ぎれば重たくてライドフィールを損なってしまう。
しかし少なすぎれば装備不足で道中困る。確実に困る。その塩梅が難しい。
最終的には複数日に跨るライドで絶対に必要になるものだけをパッキングすることにした。少ないことはより良きことだと信じているので。
多すぎると思うかもしれない。そもそもGP5000はパンク耐性も結構高いとタイヤなのだ。
でもこのタイヤ、硬いのである。それも常軌を逸した硬さをしている。
このためパンク修理中にチューブを破壊する可能性があるのだ。
だからチューブ交換1回に着き3回までチューブに穴をあける(意味不明)ことを想定して6回分のキットが必要と結論づけた。
生命線。これがないとリタイアしたときにゴミ袋に自転車を詰めて輪行することになってしまう。
生命線。これが無いと日本海の気候に勝てない。
生命線。特にコンタクトレンズが無いと何も見えない。ある意味では世界と自分を繋ぐほんまもんの生命線。
地震とかでこれ無しになると本当に何も見えない人になってしまう。
実はこれだけ必須かと言われると微妙ではある。でもサイクルウェアで電車乗るのはちょっと気になるお年頃なので必要と判断。
そしてこの普段着に後で命を救われることになった。
生命線。1000kmも道を覚えることはできない。ライトなしで夜間走行はできない。
iPhoneがないと困った時に通報できないしフォトチェックをクリアできない。
万が一の時のリザーブタンクとしての役割もあったが補給食へのアクセシビリティを改善したかった。
実際のライド中に欲しいなと思ったものをリストアップ
日本海の寒い環境でこれに包まりながら走りたかった
日本海の寒い環境でこれに包まりながら走りたかった(2回目)
毎日洗濯するのが辛かった。その時間、寝たかった
アダプタがいっぱいあるということは複数デバイス同時充電できるということや
過去、GranFondo600という究極の山岳ブルベを走った時に日本海側の夜の気温に敗北した。
太平洋に面した温暖な紀南地方出身者には想像もできない話ではあるが日本海側は寒いのである。特に夜は。
GF600はまだ近畿圏だった(それでも寒かった)が、今回はそれよりもさらに緯度の高い新潟で夜を迎える。これに加えて今回は長野の山中でも夜間になる。
当初は意識していなかったがブルベが近づくにつれて日本海のプレッシャーを意識するようになった。日本海にはトラウマがあるのだ。
5月である。「流石に暖かいよな?夜でも大丈夫だよな?厳冬期用ウェアって嵩張るんで持っていきたくないんだけどな...。」と思っていたのだが、最終的にブルベ前日に雨が降り太平洋側でも涼しいくらい(つまり山間部や日本海側はかなり寒い)ということが判明。
気象情報を確認してみると長野の夜間は気温0℃予報(5月だぞ?)、新潟の山も同様の気温(5月だぞ?)ということが判明。
これらの情報から確実に夜は沼津の厳冬期と同条件になるということが確定。 5月というと初夏のブルベという意識に縛られがちだが、一旦その考えを捨てて温暖な12月の気温を基準としたウェア選定で行くことにした。
僕の一軍。冬の結論構成である。これで耐えられないとしたら雨でも降った場合だけというガチ厳冬期装備である。
しかし後で書くがこれでも十分とは言えず、沼津の厳冬期装備は新潟の5月の山の前には及ばなかった。
沼津の厳冬期装備に加えてノースフェイスのレインシェルがあったら良かった。
5月なのに厳冬期装備が必要という現実...
最初にコースを見たとき、走行計画的にはできることなら初日の元気なうちに400km、翌日は疲れているので300km、最終日はもっと疲れているだろうけど気合いで300kmという計画で走りたいと考えた。
そこでこのブルベの開始時間を確認すると出発の時間が朝の9時である。だいぶ遅めの出発でスタート地点でホテルも取らなくて良いし助かるなと思った。
スプレッドシートで平均時速と走行時間の対応表を出してどこで寝るかを算出したりした
9時出発で400km走行する。つまり時間にすると20時間くらい足し算してみる。すると出てくる時間は29時。つまり朝の5時である。
朝の5時にホテルにチェックインして一体何ができるというのであろうか? 仮に16時間で400kmを走行できたとしても0時は過ぎる。
400kmでゴールであれば全力で走るのも良いのだが、400km走った後に600kmが待っているのだ。
この時点で初日に400km走る線は無くなった。 そこで代わりの宿ポイントを探すことした。候補としては飯田(260km)、伊那市(310km)、塩尻市(350km)地点になった。
100kmを5時間で走行するという想定でみると飯田市の到着は22時くらい。悪くない。伊那市だと0時前後、塩尻だと3時くらいになる。
となると塩尻はちょっと遠い。飯田市と伊那市で迷ったがここは初日。元気もあるだろう。そこでより遠い伊那市(315km地点)を初日の宿として選定した。
二日目の宿も同じ理屈で計算した。0時前後で到着できると良いなということで二日目の宿は最初650km地点の十日町で選択していた。
ところがこの宿、予約した後に気づいたのがチェックインが20時締め切りらしい。到着予定は0時なのでこれだと門前払いである。
そこで十日町で他の宿を探してみたものの選択肢がない。元々ルートからなるべく外れない場所を条件として探してたが見つからないのである。
しょうが無いので少し戻って浦佐(630km)地点でホテルを探すと一件だけ見つかった。ちょっと高めの価格になってしまったのだが野宿というわけにも行かない。そこで二日目の宿は浦佐で決定。
この時点で初日、二日目の走行距離はどちらも315kmとなり、最終日に370km走行することが確定した。
できることなら元気のあるうちに距離を消化して最後はゆるゆるという計画は走る前から消滅してしまった。
あと4時間でもスタート時間が早ければ...と思ったりもしたが、仮にそうであったとしても風なり峠なりで渋滞なりで計画通りに進まないことなんてよくある話なのだ。
逆に最終日、きっとここまで生き残っていたら何があっても完走してやろうというメンタルになっているに違いないと自分を信じることにしてみる。